言葉が音になった文章『江分利満氏の優雅な生活』

本書はユーモアに満ちていますが、主人公である江分利満氏にはときおり悲哀が感じられます。夕日に過ぎ去った時間を感じるように。でも、それもまた心地が良い、そんな気持ちにさせてくれる一冊。

山口瞳さんの文体

瞳さんのご子息である山口正介さんに、お話をお伺いさせていただいたことがあります。

「瞳さんの文章はなぜこれほどまでに読みやすいのでしょうか」

正介さんは「喋っていることがそのまま文章になっている」と仰っていました。

聞けば、文体のルーツは瞳さんの幼少期にあるようです。山口家(瞳さんの幼少期)のみなさんは、落語と歌舞伎が大好きだったようで、日常会話そのものが「落語」になってしまうほどに。

さらに、瞳さんをはじめご兄弟はみな「長唄」も習っていたようで、「東京アクセント」に厳しいご家庭で育ったそうです。

「聴かせる文化」で育った言語感覚を文章にできたことが、瞳さんの文体の特徴だったと推察されます。

江分利満は今もいる

本書は昭和30年代の高度経済成長期を生きたサラリーマンの日常を描いてます。会社で感じる上司と部下への違和感、隣人との他愛もないおしゃべり、家族への思い…。

時代を超えて愛される理由は、男性サラリーマンが感じる悩みが普遍的だからだと感じます。

全編を通してユーモアに満ちていますが、ときおり江分利満氏には悲哀を感じます。クスッと笑った後に覚える切なさ……ちょうど夕日を眺めているような心情で、時間の流れの中に「老い」とまでは言いませんが、自分が年齢を重ねていることを気づかされるような感覚です。でも、それもまた心地ちが良いのです。

どこかさびしく、でもあたたかい。江分利満氏こそ「平均的日本人男性」だと私は感じます。ふてくされもしますし、あるいは涙を流すこともあります。それでもなお、日常を生きています。

『江分利満氏の優雅な生活』のあらすじ

『江分利満氏の優雅な生活』は、山口瞳による1963年の小説で、サラリーマンの江分利満(えぶりまん)が戦後の東京で送る日常生活を描いた作品。主人公は広告代理店に勤める中年男性で、仕事や家庭生活においてユーモアと皮肉を交えた視点で様々な出来事に対処します。

物語は、彼の職場での奮闘や同僚との関係、家庭での妻や子供との交流を通じて、戦後日本のサラリーマン社会を風刺的に描き出しています。

電車に乗ると…

電車通勤はサラリーマンの象徴ではないでしょうか。僕もサラリーマンなので、毎日、電車に揺られて会社を目指し、自宅に帰ります。

座れるけれども座らない。そんな電車の車内ではたいていドアの片側の前に立ち、窓越しに流れゆく街の風景をぼんやり見ています。そんなとき、江分利満氏のことをふと思い浮かべます。

江分利満氏なら、この風景を見て何を思うんだろう、と。

風景に飽きてくると、不満が募ってきます。……もしも座っていたらどこかの駅で隣の人が降りたかもしれないのに。でも、立っていることでダイエットになっているのかも……。あっ、もう次の駅か……。早くおうちに帰りたい。

小さな怒りとしようもない喜びを抱えながら、今日も江分利満が生きている。通勤バッグの底にこっそりとしのばせておきたい。『江分利満氏の優雅な生活』は私にとってそんな一冊です。

投稿者プロフィール

セイウチ三郎(編集部)
『OLDNEWS』を発行しています。ウエブ限定のコンテンツも随時更新中です。

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