サリンジャーの筆致に漂う哀愁、懐かしい日々を想う切なさ。
作者の心情が滲み出るかのような描写が、不朽の名作『ライ麦畑でつかまえて』にも息づいています。
ホールデンの冷静な洞察が物語を彩り、子どもの純粋な楽しさと大人の愛情が交錯する瞬間に本書の魅力が詰まっています。
「ライ麦畑でつかまえて」のあらすじ
物語は、16歳のホールデン・コールフィールドによる“おしゃべり”で進行します。
彼は「名門」の進学校であるペンシー校を退学処分となり、実家に戻る前での数日間をニューヨーク市内をさまよいます。
ホールデンは、同級生や教師、売春婦、修道女、妹のフィービーなど、さまざまな人々とのやり取りを振り返りながら、自分の存在意義や周囲の偽善に対する憤りを吐き出します。
ホールデンの“放浪”は、彼の葛藤と共にあります。偽善に対する怒りや自身の未熟さや孤独感と向き合いながら、真の自己理解を求めて苦悩しているようです。それはまるで、自分がなるべき大人と自分がなりたくない大人の縁に立っているようにも見えます。
タイトルにもある「キャッチャー」とは、無垢な子供たちを自分なりに守りたいという願望が込められており、妹フィービーとの再会を通じて、自分の居場所と守りたいものを信じようと心に決めます。
以下は、有名な冒頭です。
もしも君が、ほんとにこの話を聞きたいんならだな、まず、僕がどこで生まれたかとか、チャチな幼年時代はどんなだったのかとか、僕が生まれる前に両親は何をやってたかとか、そういった《デーヴィッド・カパーフィールド》式のくだんないことから聞きたがるかもしれないけどさ、実をいうと僕は、そんなことはしゃべりたくないんだな。
『ライ麦畑でつかまえて』P.5(著:J.D.サリンジャー 訳:野崎孝)
『ライ麦畑でつかまえて』の登場人物
ホールデン・コールフィールド
主人公。学校を退学処分となり、ニューヨークをさまよった物語を一人称で語る。
大人の世界に対する嫌悪感をいんちき(フォニー)と表現し、子供時代への郷愁を抱えている。
フィービー
ホールデンの妹。聡明で思慮深い少女で、ホールデンにとって純真さの象徴となっている。
アリー
ホールデンの弟で、11歳の時に白血病で亡くなっている。当時、13歳だったホールデンは、アリーが亡くなった晩、手が「ぐちゃぐちゃ」になってしまうほどにガレージの窓をすべて割った。
ホールデンの思い出の中で重要な存在で、「家族の中で一番頭が良く、一番いい人間だった」と語る。
D.B
ホールデンの兄で作家。ホールデンは、ハリウッドに行った兄を残念に思っている。
アントリーニ先生
ホールデンの元英語教師。
ニューヨークでホールデンが訪ねる人物の一人で、ホールデンを心配している人物の一人。
「……たとえば、君が三十ぐらいになったとき、どっかのバーに坐りこんでいて、大学時代にはフットボールをやってたような様子をした男が入ってくるたんびに憎悪をもやすといったような、そんなたぐいの堕落かもしれん」
同P290
アクリー
寮の学生で、ホールデンの隣の部屋に住んでいる。
猫背でおそろしく背が高く、歯が汚い。
ストラドレーター
寮の同部屋に住むルームメイト。ハンサムでナルシスト。
サリー
ホールデンのデート相手。
ジェーン・ギャラガー
ホールデンが好意を寄せる少女。直接は登場しないが、ホールデンの回想の中で重要な役割を果たす。
スペンサー先生
歴史の先生。
「ライ麦畑でつかまえて」の文体
サリンジャーが描く世界はどこか切ない。
サリンジャーの物語を読み終えると、遠い昔の日々を懐かしく感じるような感覚が広がります。
サリンジャーが小説を書く過程で、自分の思い出にお別れを告げていたからなのかもしれないと感じます。
彼の文体には寂しさが静かに滲み出ています。
一人称で語られる物語
『ライ麦畑でつかまえて』は、なぜ一人称で語られる物語なのか。理由こそ分かりませんが、現代のSNSに広がる孤独感や「誰かに聞いてほしい独り言」に似た読後感を抱きます。
聞いてほしくないのに聞いてほしい、そんな思いを感じずにはいられません。
私もSNSで発信するときに「誰か」を想定していないからこそ、伝えたいことがあります。この人間の根源にある欲求が体現されたホールデンの語り口が、いつまでも愛される傑作由縁なのではないかと思います。
切なさが漂うシーン
私が最も気に入っているシーンは、ホールデンが子どもたちがシーソーで遊んでいるのを手助けする場面です。
途中で遊園地のそばを通りかかったとき、僕は足をとめて、まだほんとに小さな子供が二人、シーソーに乗って遊んでるのを眺めた。一人のほうはいくらか太ってたんで、僕は、重さの釣り合いをとってやろうと思って、痩せっぽちの子が乗っかってるほうの端へ手をかけたんだ。ところがその子たちは、僕がそばにいるのが気に入らないんだな。それがわかったんで、僕もその場を離れたさ。
同P189
太った子と痩せた子が遊ぶ不均衡なシーソーにバランスを取ろうとするホールデン。
しかし、子どもたちはその「手助け」につまらなさを覚え、そそくくさとシーソーを去っていきます。
子どもたちは、大人が知らない楽しみを共有していた描写です。このシーンでは、ホールデンが子どもたちを守りたいという思いが皮肉として表現されているのではないでしょうか。
「大人」に欺瞞を抱きながらも、自身もまた欺瞞を抱かれる大人になってしまっている。そんなホールデンの姿が切なくも、過ぎ去った幼少期への共感を生むシーンです。
『ライ麦』の魅力
『ライ麦畑でつかまえて』の魅力は、ホールデンに共感しつつ社会の常識に異議を唱える楽しさと、大人とは何かを考えさせる点にあります。
この物語は、10年ごとに読み返したい一冊です。サリンジャーの描く世界の切なさは、彼の作品を読み返すたびに新たな発見と共感をもたらしてくれます。
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