利己と利他の軋轢を描き出した夏目漱石の『こころ』を紹介します。
「こころ」あらすじ
「私」は鎌倉で海水浴を楽しんでいたところ、「先生」と出会います。
先生と言っても、「私」がそう呼んでいるだけで、特別なにかの先生と言うわけではありません。
先生と親しくなって久しく、私のもとにある手紙が届きます。
それはもうすでにこの世からいなくなっている先生からの「遺書」でした。
先生の遺書には、奥さんとの結婚の間に「K」の自殺があったこと、Kへの罪の意識に長く苛まれていたことが書かれていました。
「こころ」登場人物
私
主人公。夏休みに「先生」と出会う。
先生
高等遊民。「私」が「先生」と呼んでいるだけで、教師の職にはついていない。
奥さん
「先生」の妻。
K
「先生」の友人で奥さんに想いを寄せていた。二人の結婚を知り自殺する。
夏目漱石「こころ」の魅力
利己と利他の軋轢
「こころ」の最たる魅力は、まさにその人間のこころの機微を見事にとらえている点でしょう。
人間の内にある利己心と利他の精神。
この二つのこころの動きがあることで、私たちは良心の呵責や罪の意識に苛まれることがあります。
どちらかだけを持つ人間であれば(そういった人間がいるのかはわかりませんが)、この苦悩を感じることはないのかもしれません。
「こころ」では、人間のこころが複雑であること、「先生」は利他より利己の精神が勝ってしまったこと、そしてそんな人間の末路が描かれています。
三部作から成ることで出る奥行きと共感性
「こころ」は上中下の三部で構成されています。
いちばん重要かつ読みごたえがあるのは、最後の「先生と遺書」の部分でしょう。
高校の国語の教科書にも載っていますしね。
私が初めて「こころ」を読んだ中学生の時には、はっきり言って「先生と遺書」以外の箇所は必要なのだろうか、と感じました。
しかし、何度か読むうちに、「先生と私」、「両親と私」の部分がいかにこの小説にとって欠かせないものかということに気付きます。
「先生と私」の章があることで、私たち読者は先生の客観的な人となりを感じることができます。それにより、先生の遺書を読んだ際に心髄から先生に感情移入できるのです。
また、「先生と私」の章で伏線を張り、ミステリー要素を加えることで、最後の「先生と遺書」の章で納得感を感じられます。
「両親と私」に関しては、とても短い章なのですが、当時の時代を感じられる趣深い章です。先生を慕う私の姿についても、とてもよく知ることができます。
これに関しては、早稲田大学教授の中村明先生も角川文庫版の作品解説で述べています。
中村先生の解説が非常に興味深く、かつわかりやすいので「こころ」本編を読んだ後にぜひ読んでみてほしいです。
「こころ」感想
私が夏目漱石のファンになったきっかけの作品が「こころ」です。
今でも、はじめて「こころ」を読んだ日のことを覚えています。
当時中学生だった私は、自宅のソファで夢中になって涙を流しながらあっという間に読み切りました。
「先生」を見ていると、どこか共感できて、人間のこころは弱いものだなと感じます。
しかし、奥さんの気持ちを考えると、同時に怒りも覚えます。
「先生」と「K」のことを何も知らず、夫である「先生」は自分を残して死んでしまう。
奥さんは辛いだろうと思います。
「先生」には一生をかけて奥さんを支えてほしかったです。
はっきり言って自分のことしか考えていないというか、終始独りよがりでかっこつけてばかりですよね。
人間は、自分の立場でものを考えます。
それにより、他人からしたら当たり前に考えるべきところを全く考えられなくなってしまいます。
人間のこころは、結局利己心がベースになっているのだと思います。
だからこそ、誰かのために自分を犠牲にできる人に、人は感動を覚えるのでしょう。
夏目漱石の「こころ」は、人間のこころのありさまを存分に感じられる作品です。
ぜひ、多くの人に読んでもらいたいと思います。
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