
【中編】がんが教えてくれたのは、一人で生きているわけではないということ
父の言葉を残した【前編】に続き、この【中編】では私自身が見つめた「父の姿」を綴ります。
【後編】へとつながる、大切な記録の一部です。
ドライブの記憶から始まった
2018年12月。「お父さん、がんになっちゃったみたい」と母から電話で告げられたとき、ふと思い出した光景がありました。
FMラジオが流れる車内、頬をなでる潮の香り、サングラスをかけた父の横顔。
目的地も会話もないドライブは「大人」という時間を感じさせてくれる、父からの贈り物だったのだと思います。

父と息子の会話
がんになった父に何を話すというのだろう。
そんな状態でありながらも、やっぱり面と向かって父と話をするのは、気恥ずかしかった。
そこで思いついたのが「取材」という方法。
仕事の延長みたいだけれど、その名目なら素直に父と向き合えるかもしれない。
父への質問事項をリストアップしていく作業は、不思議とプレゼントを選んでいるような気持ちでした。

言葉にならない愛
取材は実家近くの海が見える公園で行いました。
父と二人で訪れたことのある場所です。
父は、闘病生活を通じて家族の存在を再認識できたと話してくれました。
「言葉にしなくても伝わる」というのは、父だからこそ重みを持つ。
私が父を取材しているつもりが、気づけば逆に教えられていたのです。

友人のように
取材は、古くからの友人と過ごしているような時間でした。
父と向き合うことが楽しいことだなんて、思ってもみなかった。
帰り際、父が「ありがとう」と照れくさそうに言ったその一言を、私は生涯忘れることはないと思います。

私が父から受け取ったもの
幼いころ、働きづめだった父を「遠い存在」だと勝手に思っていました。
でも取材を通じて思い知ったのは、父もまた一人の人間であるということ。
あの日々は、私にとって「父を理解する旅」であり、そして「父を自慢したい」という気持ちが強まった時間でもあったように思います。
父を取材したからこそ、私は「大事な人の話を語り継ぐ価値」を認識することができました。
それが、『OLDNEWS』を作りたいと思った原点でもあります。
写真:新井章広


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