
名言で読む【ライ麦畑でつかまえて】
「もしも君が、ほんとにこの話を聞きたいんならだな」
この一文から始まる小説『ライ麦畑でつかまえて』は、刊行から70年以上経った今も、多様な読まれ方をされ続けています。
本記事では、作品の基本的な情報を整理しながら、主な登場人物・象徴的な言葉・背景知識などを通じて、読解の足がかりを提供します。
あらすじ
舞台は1949年の冬。
名門校を退学になった16歳のホールデン・コールフィールドが、ニューヨークで過ごす数日間の出来事が一人称で語られます。
ホールデンは社会や大人の世界に対して違和感を抱き、「インチキ(phony)」という言葉を繰り返しながら、自身の立ち位置を探ろうとします。
鋭くて、どこか脆い。そんな語りが、不意に心をゆさぶる。読むたびに印象が変わり、いつかまたふと読み返したくなるような一冊です。

登場人物一覧
ホールデン・コールフィールド
主人公・語り手。名門ペンシー高校をクリスマス前に退学処分となる。
世の中に蔓延する「インチキ」に嫌悪を抱き、無邪気さと冷笑が入り混じった語り口で、他者や社会との距離を測っている。
兄弟や幼少期の記憶に執着する一方で、自身の内にある脆さに気づき始める。
身長189cmで、頭の右側に白髪が生えている。
「ライ麦畑のつかまえ役、そういったものに僕はなりたいんだよ。馬鹿げてることは知ってるよ。でも、ほんとになりたいものといったら、それしかないね。馬鹿げていることは知ってるけどさ」(P269)
アリー・コールフィールド
記憶の中に生きるホールデンの弟。ホールデンが13歳のときに白血病で亡くなった2歳下の弟。
非常に頭が良く、優しい性格。赤毛が特徴的。
ホールデンにとっては「失われた純粋さ」の象徴であり、喪失の痛みが彼の感情を支配する重要な存在。
フィービー・コールフィールド
ホールデンの10歳の妹。成績優秀で、赤毛がアリーと重なる。
まっすぐな性格と大人びた観察眼を持ち、ホールデンの本音を引き出せる、数少ない存在。
彼にとっては“理解者”であり、同時に“守りたい相手”でもある。
ヘイズル・ウェザーフィールドという女の子の探偵の話を書いている。
「さっき言ったの、あれ本気? もうほんとにどこへも行かないの? あとでほんとにおうちに帰るの?」(P329)
D・B
“成功”した兄。現在はハリウッドで脚本家として成功している。
かつては小説家として尊敬していたが、映画業界で働くことに対して少なからずの失望を抱いている。
(ホールデン)昔、うちのいた時分には、まともな作家だったんだ。(P6)
ホールデンの父
職業は弁護士で、裕福な家庭を築いているが、ホールデンとの間に感情的なつながりは描かれない。
家庭の経済的安定と、ホールデンの精神的孤独との対比が浮き彫りになる。
ホールデンの母
ホールデンに送ったスケート靴のサイズが誤っていたことがあるように、ホールデンとのコミュニケーションがすれ違っている。
ホールデンの祖母
一年で4回もホールデンに誕生祝いのお金を送ってくれるホールデンの祖母。
「なにしろすごい年」で、“モウロク”しているとホールデンは言う。
アクリー
ペンシー高校でホールデンの隣室に住む18歳の生徒。猫背でおそろしく背が高い。カトリックの信者。
無神経で不潔な言動が目立ち、ホールデンを苛立たせるが、どこか憎みきれない一面も。
「おれを《アクリー坊や》なんて言うのはよしやがれ。ばかばかしい。おれはおまえのおやじになれるぐらいの年なんだぜ」(P42)
ストラドレーター
ペンシー高校の同室生で、容姿端麗かつ社交的な“モテる男”。年鑑向けの美男子とホールデンは評する。
ストラドレーターとジェーン(ストラドレーターはジーンと間違えて認識)とのデートをきっかけに、ホールデンは苛立つ。
外見と中身のギャップ、そして「女性をめぐる価値観の違い」が二人の関係を際立たせる。
「知らんよ。なにしろ、会ったばかりなんだぜ」(P54)
ジェーン・ギャラハー
ホールデンが特別な思いを寄せていた女の子。2年前の夏、ホールデンの隣の家に住んでいた。
過去の思い出としてホールデンに何度も語られ、キスをしたが「唇」にはキスをしていないと言う。
ストラドレーターに性的な対象として扱われることに強い不快感を抱いている。
サリー・ヘイズ
以前からホールデンとの付き合いのある美人な女子高生。
いかに周囲の男たちが自分に気があるかをホールデンに語り、ホールデンを苛立たせる。
スペンサー先生
ペンシー高校の歴史の先生。
ホールデンを気にかけているが、教育的な態度がホールデンの反発を招く。
善意でありながらも価値観のずれを感じさせる存在。
「わたしは、君のその頭の中に、少し分別をというものを入れてやりたいんだよ、坊や。君の力になってやりたい。できることなら、君の力になってやりたいんだ」(P26)
アントリーニ先生
ホールデンが最も知的に信頼していたエレクトン・ヒルズの若い英語教師。
自殺した生徒への対応から好意を抱いている一方で、夜中に寝ているホールデンの頭を撫でるという行動により、彼は混乱と疑念を抱くようになる。
「理解ある大人」像の崩壊と、「信頼」と「裏切り」の曖昧な境界を象徴する存在。
エド・バンキー
ペンシー高校のバスケットボールコーチ。
センターを務めるストラドレーターがお気に入りだと語られる。
本来、生徒が教職員の自動車を借りることはご法度だが、ストラドレーターは借りることができている。
(ホールデン)運動部の連中ってのはみんなが団結するんだな。僕の行ったどこの学校でも、運動部の野郎は団結したね。(P69)
サーマー校長
ペンシー高校の校長。「人生は競技である。だからルールに従ってやらなければならない」という話をホールデンにした。
アーネスト・モロウの母
ニューヨーク行きの夜汽車でホールデンの隣に座った婦人。年齢は40代半ばほどで、上品な美しさが印象的。
彼女の息子は、ホールデンのクラスメイトであるアーネスト・モロウ。
ホールデンは、モロウを「あのいやらしい校史はじまって以来、最大の下衆野郎」と評しているが、車内ではその本音を見せることはなく、“おべんちゃら”でモロウを褒めちぎる。
「あなた、ペンシーはお好き?」(P87)
カール・ルース
ホールデンのフートン・スクール時代の友人。
フェイス・キャヴェンディシュ
ホールデンがあるパーティーで知り合ったプリンストン大学の生徒から連絡先をもらった女性。
ストリッパーをしていたなどという経歴から、夜中に電話を掛けて、カクテルに誘った。
「じゃあね、コーフルさん。あたしはね、夜の夜中にお約束なんかする習慣はないんですよ。勤めを持ってる身ですからね」(P103)
バーで知り合った3人の女性
エドモントホテルの《ラヴェンダー・ルーム》で出会った、シアトルからやって来た三人組の女性「バーニス」「マーティ」「ラヴァーン」。
ホールデンはその中の一人、ブロンドのバーニスに惹かれて、ダンスに誘う。
始終、3人は部屋を見回して映画スターがいないかを確認していた。
「ねえ――あんた、いったい、いくつなの?(P115)
アーニー
グリニッジ・ヴィレッジのナイトクラブでピアノを弾く黒人男性。
一流の腕前だが、気取った態度がホールデンには鼻につく。
(ホールデン)あいつは、自分の演奏がそれでいいのかどうかも、もうわかんなくなってんじゃないかと思うんだ。(P132)
ホーウィッツ
ホールデンがアーニーの店へ向かう際に乗ったタクシーの運転手。
短気な性格だが、セントラル・パークの家鴨の話にもきちんと答えてくれた。
「誰が腹を立ててるんだ? 誰も腹なんか立てちゃいねえよ」(P129)
リリアン・シモンズ
D・Bの元恋人。ホールデンに親しげに接するが、D・Bの評価を気にしている。
派手な外見と無神経な振る舞いが印象的。
「お兄さんどうしてて?」(P135)
モーリス
エドモントホテルの従業員で、ホールデンに売春を持ちかける。
追加料金と称して脅しをかけてくるチンピラ。
「今夜、ちょいと女の子とどうですね?」(P142)
サニー
モーリスに呼び出されて、ホールデンの部屋を訪れたコールガール。
時間ばかりを気にしている。
「あんたの嘘が見抜けない年じゃないわ」

もっと『ライ麦畑でつかまえて』を楽しむ
物語に登場する言葉やモチーフに目を向けると、『ライ麦畑でつかまえて』はさらに深く味わえる一冊になります。
ホールデンの語りを支えるキーワードや名言を通して、小説の見え方を少しずつ広げていきます。
キーワード
ライ麦畑でつかまえて
イギリスの詩人ロバート・バーンズの『Comin’ Through the Rye』をベースにスコットランド民謡『If a body meet a body coming through the rye』として親しまれている。
ホールデンはこの民謡の「ライ麦畑で会う(meet)ならば」を「ライ麦畑でつかまえて(catch)」と勘違いしていた。
キャッチャー
「なにになりたいの?」というフィービーからの質問に対して、ホールデンが「ライ麦畑のキャッチャーになりたい」と答えたことに由来する。
ライ麦畑で遊ぶ子どもたちが崖から落ちそうになったら、つかまえることだという。
崖から落ちることはすなわち欺瞞に満ちた大人になることを意味し、それを防ぎたいという思いからこの発言にいたる。
学校
学校は「守られている」ことを象徴している。
ニューヨークでの3日間は、学生ではなく一人の人間として、“ひどい”扱いを受ける。
売春をもちかけられたり、子どもだからと軽んじられたり──そこに待っていたのは、容赦のない現実だった。
16歳ながらにその社会に“放り出され”、社会と向き合うこととなる。
赤いハンチング
ホールデンがニューヨークで1ドルで買ったハンチング帽。
野球のキャッチーのようにひさしを後ろに回して被ると落ち着くという。
ホールデンは白髪交じりの頭で赤毛ではないので、アリーとフィービーへの一種の同化と自身がなりたいと語っている「ライ麦畑のキャッチャー」への同化を暗に示している。
それは赤いハンチングでね、でっかいひさしがついてやがんの。そいつを僕は、運動具店のウィンドーで見かけたんだ。フェンシングの剣やなんかをみんな失くしちまったことに気がついたすぐ後に地下鉄を下りたときだったな。(P31)
本当に僕が感動する本
ホールデンは自身が感動する本についてこんなことを語っている。
全部読み終わったときに、それを書いた作者が親友で、電話をかけたいときにはいつでもかけられるようだったらいいな、と、そんな気持を起こさせるような本だ。(P32)
一方で、そんな気持になることはめったにないとも語る。
掛けたい相手として、「イサク・ディー二セン」「リング・ランドナー」「トマス・ハーディ」をあげている。
母親
ニューヨーク行きの夜汽車の中で、ホールデンはアーネスト・モロウの母親と隣り合わせになる。
息子のモロウに対しては、「下衆野郎」と評するホールデンだが、その母親は物腰が柔らかく、知性と品を備えた人物として描かれている。
モロウとはまるで結びつかないような母親に、ホールデンは好意を抱く。そして、偽名と“おべんちゃら”を使ってモロウを持ち上げる。
その振る舞いには、どこか自分自身への皮肉や自戒がにじむ。自分の母もこんな自分に寛容であろうとしてくれている――ホールデンの胸には、そんな思いがわずかに去来していたのかもしれない。
セントラル・パーク・サウスの池のアヒル
ペンシー高校を夜行列車で出発し、ペンシルヴェニア・ステーションに降りたホールデン。
誰かに電話を掛けたいと思ったが、夜中ということもあり、電話を掛けず、タクシーに乗る。
タクシーの運転手に、家鴨(あひる)のことを聞く。
「《セントラル・パーク・サウス》のすぐ近くにあるあの池に家鴨がいるだろう? あの小さな湖さ。つかぬことをきくけど、もしかしたら君、あいつらが、あの家鴨がさ、池がみんな凍っちまったとき、どこへ行くか知らないかな? へんなことをきくようだけど、知らないかな?」(P96)
タクシーの運転手は、へんな人間を見るような顔をして、「おれをからかうつもりか?」と答えた。
さらには、アーニーの店に行く際に乗ったタクシーの運転手にも聞いている。
「家鴨がさ。知らないかな、君? つまりだね、誰かがトラックなんかでやって来て、どっかへ連れて行くのかね、それともひとりでどっかへ飛んで行くんだろうか――南のほうかどっかへさ」(P128)
意気地
自身を撲ることができない意気地なしだといいながらも、意気地なしはよくないと語る。
“顎に一発くらわすべき事情”がある際には、そうすべきだと語りながらも、自分は苦手だという。
拳での撲り合いってのは大きらいなんだよ。盛大に撲られるのはかまわないんだ――もちろん、好きじゃないけどさ――でも、撲り合いで一番いやなのは相手の顔なんだ。僕は相手の顔を見ていられないんだな、これが困るんだ。(P141)
シーソー
痩せた少年とふくよかな少年が公園のシーソーで遊んでいるところに出くわしたホールデン。
彼は均衡がとれていなシーソーを見るなり、痩せた少年が座っている側に力を入れてやり、本来のシーソーとしての遊びができるように取り計らってやります。
しかし、そんなことをされた子ども達はシーソーで遊ぶのをやめてしまいます。
ここにホールデンの一種の“成長”が見て取れます。
シーソーは本来そうして遊ぶものですが、子どもたちにとっては、正しさよりも楽しさを求めていました。
子どもたちの意図が分かっていないホールデンを浮き上がらせる鋭い描写です。

名言で読む『ライ麦畑でつかまえて』
作中に登場する印象的な“名言”をもとに、ホールデンのまなざしと、この物語の核心に少しずつ触れていきます。
有名な書き出し
もしも君が、ほんとにこの話を聞きたいんならだな、まず、僕がどこで生まれたかとか、チャチな幼年時代はどんなだったのかとか、僕が生まれる前に両親は何をやってたとか、そういった≪デーヴィッド・カパーフィールド≫式のうだんないことから聞きたがるかもしれないけれどさ、実をいうと僕は、そんなことはしゃべりたくないんだな。
『ライ麦畑でつかまえて』(白泉社)P5
いわば、この一文に惹かれるか惹かれないかで、本書を読み進めるべきかどうかを考えられる一文だと感じます。
人生は「競技」か?
競技だってさ、クソくらえ。たいした競技だよ。もしも優秀な奴らがずらっと揃ってる側についてるんなら、人生は競技で結構だろうよ――そいつは僕も認めるさ。ところが、優秀な奴なんか一人もいない相手方についてたらどうなるんだ。そのときは、人生、なにが競技だい? とんでもない。競技でなんかあるもんか。
『ライ麦
「校長先生からなんと言われた?」というスペンサー先生からの質問に対するホールデンの内心。
校長先生が話した「人生は競技だ」という話を引き合いに出して。
幸運を祈るよ!
「幸運を祈るよ!」なんて、僕なら誰にだって言うもんか。ひどい言葉じゃないか、考えてみれば。
『ライ麦畑でつかまえて』(白泉社)P28
スペンサー先生に別れの挨拶をし、寝室のドアを閉めてリビングへ向かおうとした際、聞こえてきたスペンサー先生の声。
内容ははっきりとは聞き取れなかったが、そのように聞こえたという。
“王子様”
僕はふざけるときに、ひとのことをよく《王子様》って言うんだ。そうすると、退屈しのぎかなんかになるからな。
『ライ麦畑でつかまえて』(白泉社)P40
ペンシー高校の寮でアクリーと会話している最中。
アクリーの不作法な振る舞いに対して、いら立ちと呆れを感じていたことで発する。
心配なこと
僕は、何かが本当に心配になってくると、のんきにしてられなくなるんだな。
『ライ麦畑でつかまえて』(白泉社)P64
ストラドレーターが、ホールデンにとって特別な存在であるジェーンとのデートから戻るまでの間、自分が何をしていたのかを思い出せない、と語る場面。
ホールデンは、トイレに行きたくなることはあっても実際には行かない。「行ったら、心配が途切れてしまいそうでいやなんだ」とも言う。
そんな彼の言葉から、ジェーンへの想いの強さがにじみ出る、印象的なシーンのひとつ。
喧嘩
おまえって奴は、自分がやりたきゃどんな女とやってもいいと思ってやがんだろうと、そう言ってやった。女の子がキングをみんな向こうはじの列に置いておこうとおくまいと、そんなことは気にもしないんだ、とも言ってやった。
『ライ麦畑でつかまえて』(白泉社)P71
ストラドレーターとの喧嘩の場面。
ホールデンにとってジェーンは、ただの「女の子」ではない。彼女が大事にしているものをホールデンは理解していて、それを尊重しようという思いがある。
だからこそ、ジェーンのそうした一面に無頓着なまま、自分本位な欲望で彼女に近づこうとするストラドレーターに、ホールデンは激しく反発しているのではないか。
その怒りの奥には、相手の心に寄り添うことの大切さをわかってほしいという願いと、同時に自分はうまく行動できないというもどかしさも滲んでいるようにも見える。
母親
母親ってものは、全部、ちょっとばかし狂ってるものなんだ。
『ライ麦畑でつかまえて』(白泉社)P88
フィービー
ホールデンがフィービーについて語るシーン。
僕に似て痩せてるんだけど、感じのいい痩せ方なんだ。ローラー・スケート向きの痩せ方だ。一度僕は、彼女が公園へ行くので五番街を突っ切って行くとこを窓から見てたことがあるんだが、あれがフィービーなんだな、ローラー・スケート向きの痩せ方っていうのはあの感じなんだ。
『ライ麦畑でつかまえて』(白泉社)P107
ナイトクラブ
世界じゅうのどんなナイト・クラブだって、長時間坐ってることなんかできるもんじゃない、せめて酒でも買って酔っ払いでもしなければ。あるいは、ほんとにグッとくるような女の子を連れてでもいなければ。
『ライ麦畑でつかまえて』(白泉社)P120
拍手
アーニーの「いやったらしい」ピアノを聞いて、客もまたそれにうっとりし、拍手喝采する光景にうんざりしている場面。
拍手ってものは、いつだって、的外れなものに送られるんだ。僕がピアノ弾きなら、いっそ押入れの中で弾くな。
『ライ麦畑でつかまえて』(白泉社)P132
意気地
僕は、なくして気になるような物なんて、持ったためしがないような気がする。僕に意気地なしなところがあるのは、ひょっとしたらそのせいかもしれない。
『ライ麦畑でつかまえて』(白泉社)P132
不安
売春婦やなんかのために、おめかしする必要はないことぐらいわかってたけど、そんなことでもとにかく、なんかやることがほしかったんだ。多少不安だったんだな。かなりセクシーな気持ちやなんかになっては来たけど、それでもやはり不安だった。実を言うと、僕はまだ童貞なんだよ。ほんとなんだ。童貞やなんかを失いそうな機会はずいぶんあったけど、でもまだそこまでは行ってないんだ。
『ライ麦畑でつかまえて』(白泉社)P144
ドレス
コールガールのサニーが着ていたドレスをクローゼットに掛けながら。
そのドレスを掛けながら僕は、なんだか悲しくなっちまったんだ。彼女がどっかの店に入っていってそのドレスを買うとこを思い浮かべたんだよ。店の者は誰も、彼女が売春婦だとかなんとか知りはしない。そのドレスを買う彼女を店員は普通の女と思ったろう。そう思うと僕は、ひどく悲しくなっちまったんだ――なぜだかよくわかんないけどさ。
『ライ麦畑でつかまえて』(白泉社)P144
ホールデンが言及した本や作家
『アフリカの日々』
ホールデンがペンシー高校を発つ前に読んでいた本。
間違って借りた本だという。
いやらしい本だろうと思ったが、そうじゃなかったな。とてもいい本だよ。僕は全く無学なんだけど、でも本はいっぱい読むんだ。
『ライ麦畑でつかまえて』(白泉社)P31
リング・ランドナー
ホールデンが、D.Bの次に好きな作家。
しょっちゅうスピード違反を犯すかわいい女の子と恋をする交通巡査のことを描いた短編が好きだという。
『グレート・ギャツビー』
ホールデンが好きだと語る小説。
主人公であるギャツビーに魅力を感じている。
『人間の絆』
サマセット・モームの小説。
いい本だと語るが、モームに電話をかけたくなるわけではないと言う。
『デーヴィッド・カパーフィールド』
小説の書き出しにあるように、あまり好意的に捉えていない。
トマス・ハーディ
『帰郷』を読んでおり、トマス・ハーディは、ホールデンにとって電話を掛けたい相手だと言っている。
『帰郷』の主役である「ユーステイシア」は、自由奔放に生きる女性で、ホールデンは好きだと語る。
ベーオウルフ
尼さんに英語の教材として読んだ話をしている。
『ロミオとジュリエット』
シェイクスピアの悲劇。
ロミオの友人である「マキューシオ」が、劇中で不条理な死をとげることに腹を立てている。
『ライ麦畑でつかまえて』を紹介したい理由
『ライ麦畑でつかまえて』を紹介したいと思ったのは、読んでくださる皆さんがこの本をどう読むのかを知りたかったからです。
大人になるということは、何かを失うことであると同時に、守るべきもの、あるいは守りたいものが増えていくことでもあります。
この小説には、そんな曖昧で揺らぎのある感覚が息づいています。
ホールデンがニューヨークで直面するのは、子どもとしての保護も、大人としての尊重も与えられない、現実の厳しさです。
それでも何かを信じたくて悪態をつく彼の姿に、自分と社会との距離をどう測るかという問いを重ねてしまいます。
この本が今も多くの人の心に残るのは、年齢や立場によってその問いの意味が変わり、読むたびに新しい発見があるからだと思います。
そして私自身、その感覚を確かめたくて、この紹介を書きました。

読んだあとの「問い」
ふと思い出すのは、「ライ麦、いいよね」とかつて語り合った友人のことでした。
あのとき共有していた感覚は、今もどこかに残っているのだろうか。それとも、とうに失われてしまったのか。
この本はきっと、「変わらないこと」よりも、「変わってしまうこと」に目を向けさせてくれるのではないでしょうか。
言葉にしそこねたまま、胸の奥に沈んでいった気持ち。たしかにあったはずの風景が、思い出そうとするたびに少しずつ色を変えてしまうこと。
ホールデンの声は、それらにそっと触れながら、問いを残します。
『ライ麦畑でつかまえて』は、あなたにとってどんな物語ですか?
かつてと今とで、どこが同じで、どこが違っていたでしょうか。
あなたにとっての『ライ麦畑をつかまえて』を言葉にしてみませんか?
参考文献
- 『ライ麦畑でつかまえて』(白水社)
- 『「ライ麦畑」をつかまえる!』(青春出版)
- 『サリンジャー戦記―翻訳夜話〈2〉』(文藝春秋)
※引用はすべて『ライ麦畑でつかまえて』(白泉社)による。


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