
【前編】がんが教えてくれたのは、一人で生きているわけではないということ
この記録は、2025年6月に亡くなった私の父が、3年前に語ってくれた話をもとに綴ったものです。
末期がんの告知から、治療、そして日々の暮らし。
私に語る父の言葉は、悲壮でも、劇的でもなく、驚くほど静かなものでした。
がんと向き合いながらも家族と過ごした日々、そして「ありがとう」という言葉を何度も口にしていた父の姿が、今も私の中に生きています。
ある日、がんは突然に
2018年6月。会社で受けた健康診断。
「たかが健診」のはずが、その日が人生を一変させることになったんだよ。
「肺のここに影があります。……これはがんだと思います」
呼吸器内科の先生がたまたま問診に出てくれたことで、がんらしきものが見つかって。
すぐにでも大きい病院に行くように言われたんだけれども、その日は行けなかったな。怖さというか茫然自失という感覚かな。
翌日、おかあさんに急かされるようにして病院に行ったら、がん細胞を調べるための検査入院の日程が決まった。
ただ、その検査では治療方針を決めきるまでの材料が見つからず、途方に暮れたよね。
この時代、二人に一人が罹る病だから。まぁ、仕方がないかな、と。
でも、おかあさんとおねえちゃん(私の姉)はそんな弱気な態度を一喝したんだよ。
「絶対に負けてはいけない」。そんな言葉で。心強かったね。
「諦めない」とは言わず、「負けてはいけない」と。
それから二人がいろいろと手筈を整えてくれて、セカンドオピニオンという形でいまの病院で検査できることになったわけ。
こうしていられるのもそのおかげなんだよ。

涙が先にあふれた日
セカンドオピニオンの結果、抗がん剤での治療が決定。
2018年9月、抗がん剤治療を始めるために検査入院することになった。
入院初日。二人が病室に来てくれたとき、昼食を食べ始めた瞬間に涙が止まらなくなってさ。
ぽろぽろと。何か言えるでもなく、ただ感情が涙として流れていくような。
何か言わなけりゃあなあと思って声に出たのが、「なんでこんなことになっちゃったんだろう」って。
悔しさと不安、そして迷惑をかけている申し訳なさ。ましてや二人が目の前にいたから余計にね。
それでも二人は黙ってそばにいてくれた。ありがたかったよ。
弱音を吐いたのは、その一回限りかな。
それからは二人にそんな顔は見せていないつもり。たたかうことを、二人から教わったから。

一人では背負えないもの
日々の治療はつらくても、先生や看護師の方々、そして家族のおかげで生きることができている。
「がん患者」という重さを一人で感じずにいられたのは、家族が黙って一緒に背負ってくれていたからだろうね。
もし逆の立場だったら……。きっと自分も、同じように必死になったと思う。
それが家族というものなんじゃないかな。一人で生きているわけじゃないんだよ。

ありがとうという言葉
これはね、がんになって変わったことなんだけれども。
「ありがとう」という言葉が好きになったね。
たとえば、「今日もお見舞いに来てくれてありがとう」って伝えるとするじゃない。もちろんそれは、何百回と言ったとしても言い足りないことなんだよ。
でもね、言ったそばから、いや、言う前からその想いが伝わっているような気がする。
気恥ずかしいけれど、「ありがとう」は特別だよね。自分にとっては、家族でしか感じられない温かさがある。
まあ、今日はこんなところで。あんまり湿っぽいのもね。いまレントゲンを撮られたら、肺のあたりに♡でも映るかもしれないね。
後編に続きます
写真:新井章広


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