
名言で読む【グレート・ギャツビー】
F・スコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』は、夢を追い続けたひとりの男の美しさと哀しみを描いた物語です。
夜ごと開かれる華やかなパーティーの陰で、彼が見つめていたのは、海の向こうに灯る小さな緑の光でした。
この記事では、物語のあらすじや象徴的なキーワード、印象的な名言をいくつか紹介します。この作品をどう受け取るか、あなた自身の感想をぜひ聞かせてください。
あらすじ
F.スコット・フィツジェラルドによる『グレート・ギャツビー』は、1920年代アメリカのきらびやかさと空虚さを描いた不朽の名作。
舞台は第一次世界大戦後のロングアイランド。経済的な繁栄に沸く一方で、倫理や価値観の揺らぎが露呈し始めた時代。
語り手であるニック・キャラウェイは、中西部からニューヨークにやってきた青年であり、彼の視点を通じて、私たちはギャツビーという男と出会います。
ジェイ・ギャツビーは、ニューヨークの“ウェスト・エッグ”に巨大な邸宅を構え、夜ごと盛大なパーティーを催す謎めいた富豪。
正体も財産の出どころも不明なまま、ただ一つ明らかなのは、遠く“イースト・エッグ”に住むデイズィ・ブキャナンを一途に想い続けているということ。
かつて愛し合った二人。けれど彼女は、トム・ブキャナンと結婚してしまった。
それでもギャツビーは、過去を取り戻すために、すべてを築き上げようとするが……。
登場人物
ジェイ・ギャツビー
過去を愛する男。夢のためにすべてを賭けた、悲しくも美しい人物。
「わたしは、何もかも、前とまったく同じようにしてみせます(P181)
ニック・キャラウェイ
語り手。中西部の都会に裕福な生活を続けてきた名家の出身。
冷静な観察者でありながら、ギャツビーの唯一の理解者。
断定的に割り切ってしまわぬということは、無限の希望を生むことになる。(P6)
デイズィ・ブキャナン
ギャツビーのかつての恋人。魅力的で現実主義的な女性。
「あなたはいつも、とっても涼しそうね」(P193)
トム・ブキャナン
デイジーの夫。権威と保守性の象徴。
「そのゴダードというのの努力のおかげさ。おれたち、支配的人種に警戒の義務があるんだよ。さもなければ、他の人種が支配権を握ることになる」(P25)
ジョーダン・ベイカー
プロゴルファー。ニックの恋人となるクールな女性。
「あんた、へたな運転手は、もう一人のへたな運転手と出会うまでしか安全でないって、言ったでしょ。あたしはもう一人のへたな運転手に出会ったのよね。(P294)
マートル・ウィルソン
トムの愛人。夫のジョージを軽蔑すらしている。
上流階級への憧れを抱く。
「多少は礼節の心得もあるかと思ったんだ。ところが、あたしの靴をなめる値打ちもない男だった」(P58)
ジョージ・ウィルソン
マートルの夫。さびれた繁華街で自動車整備店を経営している。
物語後半の悲劇の引き金となる。
「旦那、いつあの車を売りなさるんで?」(P42)
もっと『グレート・ギャツビー』を楽しむ
物語に登場する言葉やモチーフに目を向けると、『グレート・ギャツビー』はさらに深く味わえる一冊になります。
キーワード
ジャズ・エイジ
禁酒法下のアメリカ、1920年代。酒も音楽も人も、熱気とともに乱反射した時代。
その一方で、享楽の裏にはどこか満たされない空虚さが広がっていた。
『グレート・ギャツビー』は、そんな“ジャズ・エイジ”の光と影を体現している。
緑の灯
ギャツビーが見つめ続ける、湾の向こうに灯る小さな光。
それはデイズィの家の桟橋にあるランプであり、彼にとっては「希望」「再会」「過去の再現」といった願いが込められた象徴。
緑の灯は、夢を追い続ける者が最後まで見失わなかった“幻”でもある。
ニックとギャツビー
夢を信じて突き進むギャツビー。その生き様を冷静に観察しながらも、どこかで共鳴と軽蔑を抱いているニック。
ふたりの関係には、フィッツジェラルド自身の「理想と幻滅」「熱狂と冷静」といった内面の揺れが投影されているように見える。
ギャツビーを描きながら、作家は自分自身をも見つめている。
西の卵(ウエスト・エッグ)と東の卵(イースト・エッグ)
舞台となるニューヨークのロングアイランドの“西の卵”と“東の卵”は、湾を挟んで向かい合う二つの地域。
どちらも巨大な卵のような形をしており、一方が平らにつぶれたような歪な輪郭をもつ。
“西の卵”に住むのは成金層(ギャツビーとニック)。伝統的な富と階級を誇る旧家(トムとデイズィ)は“東の卵”に暮らす。
この対比は、金と階級、過去と現在、正統と成り上がりの断絶を象徴している。
灰の谷
狂乱に沸くのアメリカが見落としてきた風景であり、夢が瓦解する場所。
ここに暮らすウィルソン夫妻の姿は、栄光の物語の裏側にある現実の重さを浮かび上がらせる。
灰の谷は、本作における最も無慈悲な象徴のひとつでもある。
名言で読む『グレート・ギャツビー』
ニックの父のことば
「ひとを批判したいような気持が起きた場合にはだな」と、父は言うのである「この世の中の人がみんなおまえと同じように恵まれているわけではないということを、ちょっと思いだしてみるのだ」
『グレート・ギャツビー』(新潮文庫)P5
ニックの信条
人間としての礼にかなった行為というものに対する感覚は、生れたときから万人平等に付与されていはしないのだということを忘れては、知りうるはずのものまで知らずに終わることになりかねないのだからと、いまなおぼくはいささか心しているのだ。
『グレート・ギャツビー』(新潮文庫)P6
ニックによるギャツビー評
ギャツビー、ぼくが心からの軽蔑を抱いているすべてのものを一身に体現しているような男。もしも間断なく演じ続けられた一連の演技の総体を個性といってよいならば、ギャツビーという人間には、何か絢爛とした個性があった。(中略)最後になってみれば、ギャツビーにはなんの問題もなかったのだ。むしろ、ギャツビーを食いものにしていたもの、航跡に浮ぶ汚い塵芥のようにギャツビーの夢の後に附いていたものに眼を奪われて、ぼくは、人間の悲しみや喜びが、あるいは実らずに潰え、あるいははかなく息絶える姿に対する関心を阻まれていたのだ。
『グレート・ギャツビー』(新潮文庫)P7
夏
陽光は輝き、樹々の若葉は物の生長するさまを高速度撮影でとらえたような感じで、勢いよく萌えでている。ぼくは、この夏とともに生命がまた蘇るのだという、あの何度か味わった確信をまた抱いた。
『グレート・ギャツビー』(新潮文庫)P10
人生の見方
結局のところ人生は、一つの窓から眺めたほうがはるかによく見えるのである
『グレート・ギャツビー』(新潮文庫)P11
『グレート・ギャツビー』を紹介したい理由
ギャツビーの信じる力、夢を抱き続ける強さ、そしてそれに殉じた姿。それは、現代の私たちにも重なる部分があります。信じることが時に滑稽に見えるこの時代だからこそ、この物語を紹介したいのです。
ギャツビーの緑の灯は、誰にとっても心のどこかにある光。その光を思い出すきっかけになれば──そんな願いを込めて、この紹介を書きました。
読んだあとの「問い」
あなたにとっての「緑の灯」は何でしょうか?
それは過去に交わした約束?失われた夢?あるいは今も胸の奥で光っている、あの頃の想いでしょうか?
人はなぜ夢を持ち続けるのか。夢は希望なのか、それとも呪いなのか。ギャツビーの姿は、そんな問いを残します。
『グレート・ギャツビー』は、あなたにとってどんな物語になるでしょうか。
過去と現在のどこに、自分を重ねましたか?
もしよければ、ぜひあなたの声を聞かせてください。
参考文献
- 『グレート・ギャツビー』(新潮文庫)
※引用はすべて『グレート・ギャツビー』(新潮文庫)による。


この記事へのコメントはありません。