
あらすじと名言で読む【ライ麦畑でつかまえて】
「もしも君が、ほんとにこの話を聞きたいんならだな」
この有名な書き出しで始まる物語を、あなたはどのように受け取りましたか?
『ライ麦畑でつかまえて』は1951年の刊行以来、読者によって全く異なる解釈がなされ続けている作品です。
この記事では、作品の基本情報を整理した上で、あなた自身の読み方を見つけるためのヒントと、他の読者との対話のきっかけを提供します。
あらすじ
J.D.サリンジャーの不朽の名作。
名門校を退学になった16歳のホールデン・コールフィールドが、1949年の冬、ニューヨークで過ごした3日間を語る物語です。
ここに描かれているのは、ただの反抗期ではありません。
ホールデンが繰り返す「インチキ(phony)」という言葉には、社会への不信感だけでなく、自身の居場所を見いだせない戸惑いが滲んでいます。
鋭くて、どこか脆い。そんな語りが、不意に心をゆさぶる。読むたびに印象が変わり、いつかまたふと読み返したくなるような一冊です。

登場人物
ホールデン・コールフィールド:主人公・語り手
名門ペンシー高校をクリスマス前に退学処分となる。
世の中に蔓延する「インチキ」に嫌悪を抱き、無邪気さと冷笑が入り混じった語り口で、他者や社会との距離を測っている。
兄弟や幼少期の記憶に執着する一方で、自身の内にある脆さに気づき始めている。
アリー・コールフィールド:記憶の中に生きる弟
ホールデンが13歳のときに白血病で亡くなった2歳下の弟。
非常に頭が良く、優しい性格。赤毛が特徴的。
ホールデンにとっては「失われた純粋さ」の象徴であり、喪失の痛みが彼の感情を支配する重要な存在。
フィービー・コールフィールド:信頼し合う妹
ホールデンの10歳の妹で、彼と深い信頼関係を築いている。
まっすぐな性格で、大人びた観察眼を持ち、ホールデンの本音を引き出せる数少ない人物。
赤毛である点がアリーと共通しており、ホールデンにとって“理解者”であると同時に“守るべき存在”。
D.B:“成功”した兄
ホールデンの兄で、現在はハリウッドで脚本家として成功している。
かつては小説家として尊敬していたが、映画業界で働くことに対して少なからずの失望を抱いている。
ホールデンの「商業主義への嫌悪」を象徴する存在。
ホールデンの父:社会的成功の象徴
職業は弁護士で、裕福な家庭を築いているが、ホールデンとの間に感情的なつながりは描かれない。
家庭の経済的安定と、ホールデンの精神的孤独との対比が浮き彫りになる。
ホールデンの祖母:“金ばなれのいいばあさん”
一年で4回もホールデンに誕生祝いのお金を送ってくれるホールデンの祖母。
「なにしろすごい年」で、“モウロク”しているとホールデンは言う。
アクリー:どこか放っておけない隣人
ペンシー高校でホールデンの隣室に住む18歳の生徒。猫背でおそろしく背が高い。カトリックの信者。
無神経で不潔な言動が目立ち、ホールデンを苛立たせるが、どこか憎みきれない一面も。
「おれを《アクリー坊や》なんて言うのはよしやがれ。ばかばかしい。おれはおまえのおやじになれるぐらいの年なんだぜ」(P42)
ストラドレーター:軟派なルームメイト
ペンシー高校の同室生で、容姿端麗かつ社交的な“モテる男”。年鑑向けの美男子とホールデンは評する。
ストラドレーターとジェーン(ストラドレーターはジーンと間違えて認識)とのデートをきっかけに、ホールデンは苛立つ。
外見と中身のギャップ、そして「女性をめぐる価値観の違い」が二人の関係を際立たせる。
ジェーン・ギャラハー:特別なひとり
ホールデンが特別な思いを寄せていた女の子。2年前の夏、ホールデンの隣の家に住んでいた。
現在は登場しないが、過去の思い出として何度も語られる。
ストラドレーターに性的な対象として扱われることに強い不快感を抱いている。
スペンサー先生:現実を突きつける老教師
ペンシー高校の歴史の先生。
ホールデンを気にかけているが、教育的な態度がホールデンの反発を招く。
善意でありながらも価値観のずれを感じさせる存在。
「わたしは、君のその頭の中に、少し分別をというものを入れてやりたいんだよ、坊や。君の力になってやりたい。できることなら、君の力になってやりたいんだ」
『ライ麦畑でつかまえて』(白泉社)P26
アントリーニ先生:知的な教師
ホールデンが最も知的に信頼していたエレクトン・ヒルズの若い英語教師。
自殺した生徒への対応から好意を抱いている一方で、夜中に寝ているホールデンの頭を撫でるという行動により、彼は混乱と疑念を抱くようになる。
「理解ある大人」像の崩壊と、「信頼」と「裏切り」の曖昧な境界を象徴する存在。
エド・バンキー:不公平さのメタファー
ペンシー高校のバスケットボールコーチ。
センターを務めるストラドレーターがお気に入りだと語られる。
本来、生徒が教職員の自動車を借りることはご法度だが、ストラドレーターは借りることができている。
(ホールデン)運動部の連中ってのはみんなが団結するんだな。僕の行ったどこの学校でも、運動部の野郎は団結したね。
『ライ麦畑でつかまえて』(白泉社)P69
アーネスト・モロウの母
ニューヨーク行きの夜汽車でホールデンの隣に座った婦人。年齢は40代半ばほどで、上品な美しさが印象的。
彼女の息子は、ホールデンのクラスメイトであるアーネスト・モロウ。
ホールデンは、モロウを「あのいやらしい校史はじまって以来、最大の下衆野郎」と評しているが、車内ではその本音を見せることはなく、“おべんちゃら”でモロウを褒めちぎる。
「あなた、ペンシーはお好き?」
『ライ麦畑でつかまえて』(白泉社)P87
ニューヨーク行きの夜汽車の中で、ホールデンはアーネスト・モロウの母親と隣り合わせになる。
息子のモロウに対しては、「下衆野郎」と評するホールデンだが、その母親は物腰が柔らかく、知性と品を備えた人物として描かれている。
モロウとはまるで結びつかないような母親に、ホールデンは好意を抱く。そして、偽名と“おべんちゃら”を使ってモロウを持ち上げる。
その振る舞いには、どこか自分自身への皮肉や自戒がにじむ。自分の母もこんな自分に寛容であろうとしてくれている――ホールデンの胸には、そんな思いがわずかに去来していたのかもしれない。
モーリス:卑しさを体現するエレベーターボーイ
エドモントホテルの従業員で、ホールデンに売春を持ちかける人物。
金銭と暴力に支配された現実の縮図のような存在であり、ホールデンが直面する「社会の汚さ」の象徴。

もっと『ライ麦畑でつかまえて』を楽しむ
物語に登場する言葉やモチーフに目を向けると、『ライ麦畑でつかまえて』はさらに深く味わえる一冊になります。
ホールデンの語りを支えるキーワードや名言を通して、小説の見え方を少しずつ広げていきます。
キーワード
ライ麦畑でつかまえて
イギリスの詩人ロバート・バーンズの『Comin’ Through the Rye』をベースにスコットランド民謡『If a body meet a body coming through the rye』として親しまれている。
ホールデンはこの民謡の「ライ麦畑で会う(meet)ならば」を「ライ麦畑でつかまえて(catch)」と勘違いしていた。
キャッチャー
「なにになりたいの?」というフィービーからの質問に対して、ホールデンが「ライ麦畑のキャッチャーになりたい」と答えたことに由来する。
ライ麦畑で遊ぶ子どもたちが崖から落ちそうになったら、つかまえることだという。
崖から落ちることはすなわち欺瞞に満ちた大人になることを意味し、それを防ぎたいという思いからこの発言にいたる。
学校
学校は「守られている」ことを象徴している。
ニューヨークでの3日間は、学生ではなく一人の人間として、“ひどい”扱いを受ける。
売春をもちかけられたり、子どもだからと軽んじられたり──そこに待っていたのは、容赦のない現実だった。
16歳ながらにその社会に“放り出され”、社会と向き合うこととなる。
赤いハンチング
ホールデンがニューヨークで1ドルで買ったハンチング帽。
野球のキャッチーのようにひさしを後ろに回して被ると落ち着くという。
ホールデンは白髪交じりの頭で赤毛ではないので、アリーとフィービーへの一種の同化と自身がなりたいと語っている「ライ麦畑のキャッチャー」への同化を暗に示している。
それは赤いハンチングでね、でっかいひさしがついてやがんの。そいつを僕は、運動具店のウィンドーで見かけたんだ。フェンシングの剣やなんかをみんな失くしちまったことに気がついたすぐ後に地下鉄を下りたときだったな。
『ライ麦畑でつかまえて』(白泉社)P31
本当に僕が感動する本
ホールデンは自身が感動する本についてこんなことを語っている。
全部読み終わったときに、それを書いた作者が親友で、電話をかけたいときにはいつでもかけられるようだったらいいな、と、そんな気持を起こさせるような本だ。
『ライ麦畑でつかまえて』(白泉社)P32
一方で、そんな気持になることはめったにないとも語る。
掛けたい相手として、「イサク・ディー二セン」「リング・ランドナー」「トマス・ハーディ」をあげている。
シーソー
痩せた少年とふくよかな少年が公園のシーソーで遊んでいるところに出くわしたホールデン。
彼は均衡がとれていなシーソーを見るなり、痩せた少年が座っている側に力を入れてやり、本来のシーソーとしての遊びができるように取り計らってやります。
しかし、そんなことをされた子ども達はシーソーで遊ぶのをやめてしまいます。
ここにホールデンの一種の“成長”が見て取れます。
シーソーは本来そうして遊ぶものですが、子どもたちにとっては、正しさよりも楽しさを求めていました。
子どもたちの意図が分かっていないホールデンを浮き上がらせる鋭い描写です。

名言で読む『ライ麦畑でつかまえて』
作中に登場する印象的な“名言”をもとに、ホールデンのまなざしと、この物語の核心に少しずつ触れていきます。
有名な書き出し
もしも君が、ほんとにこの話を聞きたいんならだな、まず、僕がどこで生まれたかとか、チャチな幼年時代はどんなだったのかとか、僕が生まれる前に両親は何をやってたとか、そういった≪デーヴィッド・カパーフィールド≫式のうだんないことから聞きたがるかもしれないけれどさ、実をいうと僕は、そんなことはしゃべりたくないんだな。
『ライ麦畑でつかまえて』(白泉社)P5
いわば、この一文に惹かれるか惹かれないかで、本書を読み進めるべきかどうかを考えられる一文だと感じます。
人生は「競技」か?
競技だってさ、クソくらえ。たいした競技だよ。もしも優秀な奴らがずらっと揃ってる側についてるんなら、人生は競技で結構だろうよ――そいつは僕も認めるさ。ところが、優秀な奴なんか一人もいない相手方についてたらどうなるんだ。そのときは、人生、なにが競技だい? とんでもない。競技でなんかあるもんか。
『ライ麦畑でつかまえて』(白泉社)P16
校長先生から「なんと言われた?」というスペンサー先生からの質問に対するホールデンの内心。
校長先生が話した「人生は競技だ」という話を引き合いに出して。
幸運を祈るよ!
「幸運を祈るよ!」なんて、僕なら誰にだって言うもんか。ひどい言葉じゃないか、考えてみれば。
『ライ麦畑でつかまえて』(白泉社)P28
スペンサー先生に別れの挨拶をし、寝室のドアを閉めてリビングへ向かおうとした際、聞こえてきたスペンサー先生の声。
内容ははっきりとは聞き取れなかったが、そのように聞こえたという。
“王子様”
僕はふざけるときに、ひとのことをよく《王子様》って言うんだ。そうすると、退屈しのぎかなんかになるからな。
『ライ麦畑でつかまえて』(白泉社)P40
ペンシー高校の寮でアクリーと会話している最中。
アクリーの不作法な振る舞いに対して、いら立ちと呆れを感じていたことで発する。
心配なこと
僕は、何かが本当に心配になってくると、のんきにしてられなくなるんだな。
『ライ麦畑でつかまえて』(白泉社)P64
ストラドレーターが、ホールデンにとって特別な存在であるジェーンとのデートから戻るまでの間、自分が何をしていたのかを思い出せない、と語る場面。
ホールデンは、トイレに行きたくなることはあっても実際には行かない。「行ったら、心配が途切れてしまいそうでいやなんだ」とも言う。
そんな彼の言葉から、ジェーンへの想いの強さがにじみ出る、印象的なシーンのひとつ。
喧嘩
おまえって奴は、自分がやりたきゃどんな女とやってもいいと思ってやがんだろうと、そう言ってやった。女の子がキングをみんな向こうはじの列に置いておこうとおくまいと、そんなことは気にもしないんだ、とも言ってやった。
『ライ麦畑でつかまえて』(白泉社)P71
ストラドレーターとの喧嘩の場面。
ホールデンにとってジェーンは、ただの「女の子」ではない。彼女が大事にしているものをホールデンは理解していて、それを尊重しようという思いがある。
だからこそ、ジェーンのそうした一面に無頓着なまま、自分本位な欲望で彼女に近づこうとするストラドレーターに、ホールデンは激しく反発しているのではないか。
その怒りの奥には、相手の心に寄り添うことの大切さをわかってほしいという願いと、同時に自分はうまく行動できないというもどかしさも滲んでいるようにも見える。
母親
母親ってものは、全部、ちょっとばかし狂ってるものなんだ。
『ライ麦畑でつかまえて』(白泉社)P88
ホールデンが言及した本や作家
『アフリカの日々』
ホールデンがペンシー高校を発つ前に読んでいた本。
間違って借りた本だという。
いやらしい本だろうと思ったが、そうじゃなかったな。とてもいい本だよ。僕は全く無学なんだけど、でも本はいっぱい読むんだ。
『ライ麦畑でつかまえて』(白泉社)P31
リング・ランドナー
ホールデンが、D.Bの次に好きな作家。
しょっちゅうスピード違反を犯すかわいい女の子と恋をする交通巡査のことを描いた短編が好きだという。
『グレート・ギャツビー』
ホールデンが好きだと語る小説。
主人公であるギャツビーに魅力を感じている。
『人間の絆』
サマセット・モームの小説。
いい本だと語るが、モームに電話をかけたくなるわけではないと言う。
『デーヴィッド・カパーフィールド』
小説の書き出しにあるように、あまり好意的に捉えていない。
トマス・ハーディ
『帰郷』を読んでおり、トマス・ハーディは、ホールデンにとって電話を掛けたい相手だと言っている。
『帰郷』の主役である「ユーステイシア」は、自由奔放に生きる女性で、ホールデンは好きだと語る。
ベーオウルフ
尼さんに英語の教材として読んだ話をしている。
『ロミオとジュリエット』
シェイクスピアの悲劇。
ロミオの友人である「マキューシオ」が、劇中で不条理な死をとげることに腹を立てている。
『ライ麦畑でつかまえて』を紹介したい理由
『ライ麦畑でつかまえて』を紹介したいと思ったのは、読んでくださる皆さんがこの本をどう読むのかを知りたかったからです。
大人になるということは、何かを失うことであると同時に、守るべきもの、あるいは守りたいものが増えていくことでもあります。
この小説には、そんな曖昧で揺らぎのある感覚が息づいています。
ホールデンがニューヨークで直面するのは、子どもとしての保護も、大人としての尊重も与えられない、現実の厳しさです。
それでも何かを信じたくて悪態をつく彼の姿に、自分と社会との距離をどう測るかという問いを重ねてしまいます。
この本が今も多くの人の心に残るのは、年齢や立場によってその問いの意味が変わり、読むたびに新しい発見があるからだと思います。
そして私自身、その感覚を確かめたくて、この紹介を書きました。

読んだあとの「問い」
ふと思い出すのは、「ライ麦、いいよね」とかつて語り合った友人のことでした。
あのとき共有していた感覚は、今もどこかに残っているのだろうか。それとも、とうに失われてしまったのか。
この本はきっと、「変わらないこと」よりも、「変わってしまうこと」に目を向けさせてくれるのではないでしょうか。
言葉にしそこねたまま、胸の奥に沈んでいった気持ち。たしかにあったはずの風景が、思い出そうとするたびに少しずつ色を変えてしまうこと。
ホールデンの声は、それらにそっと触れながら、問いを残します。
『ライ麦畑でつかまえて』は、あなたにとってどんな物語ですか?
かつてと今とで、どこが同じで、どこが違っていたでしょうか。
ぜひ、あなたの声を聞かせてください。
参考文献
- 『ライ麦畑でつかまえて』(白水社)
- 『「ライ麦畑」をつかまえる!』(青春出版)
- 『サリンジャー戦記―翻訳夜話〈2〉』(文藝春秋)
※引用はすべて『ライ麦畑でつかまえて』(白泉社)による。
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